はてさて、女性は「白馬の王子様」の登場をそれなりに諦めて、一方、男性も「憧れのマドンナ」獲得の夢をそれこそ放棄して、現実路線にのっとった結婚をし、夫婦になる選択をしたとしようか。 その結婚が、もしも、結婚生活という修行生活への入学だとしたら、修行が開けるという卒業は、いったいどういうことを指すのかと考えてみるのも面白いかと。 ああ、なんだか申し訳ありませんね。結婚についての夢や希望を失くすような記事になりそうで。それを、どうかお許しいただけるならば、どうぞ読み進めて下さいますように。 そもそも、結婚生活からの卒業は、「死が二人を分かつまで」ありえないのか、という考察から始めなくてはならないのだけれど。でも、これについて、私たちは意識を改めなくてはならない時代に突入していることは踏まえておきたい。 そうだ、私たちは、高齢化社会を生きている。 人生50年時代ならいざ知らず、懸命に家庭を営み、無我夢中で子供を育て上げたら、今度は自分がこの世を離れる番と、そうはいかない可能性は大きくなるばかり。それから、さらに20年、30年と、子育てに勤しんでいた以上の期間を、夫婦で過ごさなくてはならないことは容易に想像できるはず。 だとしたら、結婚生活からの卒業とは何なのか。私たちは、卒業を目指して学業に励むもの。たしかに人生は一生が勉強。そう思って卒業がない学校に入学することもあるだろう。けれど、それには、そうとうの覚悟があってのことなのだと。 でも、誤解しないで下さいね。卒業がないのだから入学するな、などという論法を展開しているのではないのですよ。それと同時に、入学を選択する自由、入学を選ばない自由、つまり、結婚を選択しない自由もあることはたしか。つまり、私たちの結婚観は、結婚するのが当然、結婚したかぎりは一生添い遂げるのが当然という枠には、とっくに収まりきらなくなっていることを正面から認めなくてはならないということ。 そうだ、私たちは、死別以外の結婚生活からの卒業が、好むと好まざるにかかわらず、どんどんと視野に入ってくるし、また、視野に入れなければならない時代を生きている。 では、結婚生活からの卒業とは? 別居? 離婚? 別居とは、いわば休学のようなものか。休学もまたよし。離れることによって関係を冷静になって見直すことができるだろうから。けれど、たいていの場合、休学には一定の期限が設けられているもの。ずるずると長引かせるものではなく、中退か復学を決めなくてはならないですよね。 離婚とは、いわば中退とでも言おうか。そうですね、中退もその中身はいろいろ。心ならずもの中途退学もあれば、傷つき果てた身を守り、回復させるためのものもある。なにより、中退によって新たな人生の展望が拓けていく希望もいっぱいあるはず。別の学校に入り直すこと<=再婚>だって可能。 そう、別居も離婚も、実は結婚からの卒業ではないのです。 では、「卒婚」とは? 互いが互いを尊重した関係であってこそ、はじめて成立するもの。夫や妻としての役目を終え、一個の人間同士としての付き合いにシフトすること。そして、それぞれがもつ人生のニーズに対して受容的であること。かつての同級生同士として、そのニーズを満たしあえることは厭わずサポートし、満たしあえない部分を他に求めることを認め応援すること。 そんな関係は、法的な縛りの中にあろうとあるまいと関係なく、築くことは可能。 そんな関係こそ、高齢化社会を生きるあらたな結婚を生きる、これからの夫婦の有り様。 婚姻関係と結婚関係は違う。結婚関係と夫婦関係も違う。婚姻という社会制度・法的制度の中に、もともと、私たちの結婚・夫婦関係は、とうてい収まりきるものではない。なぜなら、私たちは、法律に従って夫を選び、妻を選び、結婚をして、夫婦になったのではないのだから。
bvlgari 時計 ジーショック フォッシル ハミルトン 時計 ルミノックス ニクソン noon 時計 rolex エクスプローラー vivienne paul smith 時計 フォリフォリ